感情的にならないように、1日空けて書くようにはしているが、
未だにあの試合の徒労感はぬぐえていない。

体が重い。

いわば、疲労困憊した試合だった、見る者にとっても。
それだけに、選手たちの疲労はいかばかりのものか計りかねる。
本当によくやった、と思う。

が、しかし。

否である。

勝って良かったとはとうてい思えない。
試合内容は、日本の負け。
ホームというアドバンテージを得ながらも、試合は終始、
攻めあぐねた。
バーレーンの思うつぼにはまってしまったわけである。

イラン戦に負けた日本は北朝鮮に勝利したバーレーンを倒さなければ、
予選通過がきつくなる。
それどころか、アウェイの試合をあと2試合こなさなければならない。
そのうちの一つは問題の北朝鮮平壌決戦だ。
バーレーンとの2試合は勝たねばならない。
それほど北朝鮮との一戦は未知数だ。

しかし、カウンターを恐れて守勢に回り、
セットプレイに活路を見いだすしかない現状。
それには、ジーコの明確なビジョンがないまま、
2年半の月日が過ぎてしまったことを浮き彫りにした。

中田英寿は劇薬である。

諸刃の剣でもある。

それゆえに、必要であったと思う。
バーレーン戦のひでは本当によく守り、ボールキープをし、
左右への展開を組み立てようとしていた。
ひでのパートナーである福西は攻めに行かず、常に左サイドのケア、
ひでのケアに努める。献身的な動きは感動した。
そして、ひでが守備に加わるから、三都主が加地がサイドを駆け上がる。
三都主が輝き始めた後半、
それはそのままひでと福西の貢献度の高さを表わしていた。
バーレーン戦において、ひでは必要だった。
メディアがどう言おうが、そう思う。

この3バック、結果論ではあるが、イラン戦で実行して欲しかった。

ジーコはあのイラン戦は田中誠が出場停止であるから4バックにした、
と発言した。

しかし、3バックはありだったと思う。

なぜなら松田直樹がいたからだ。
松田−宮本−中澤で十分ケアできたのではないか?
左サイドは三浦淳がいたわけだから、トルシエ時代にやっている面子である。

ここかな、と今でも思う。

トルシエとは違うんだ、という川淵会長とジーコのこだわり。
選手主体、ポジションは選手の適正なポジション、個性を尊重・・・

大事なことだ。
しかし、勝つ組織力もまた、あってしかるべきではないかと思う。

ひでと俊輔はイラン戦の後、システムの件で話し合ったという。
また、試合の2日前に3バックにジーコは変更。
これもまた、ひでと宮本が直談判しなければどうなっていたかがわからない。

結局、日本代表の形はどれなのか。
見えないまま、残り3試合を迎える。

こんなはずじゃなかった。

日韓W杯以降の日本代表は、さらなる飛躍を遂げると思っていた。
しかし、現実は否。後退している感すらある。

相手のオウンゴール直後の選手たちの姿が痛々しかった。
ガッツポーズをするジーコが憎かった。

勝ってはいる。
勝ち進んではいる。

しかし、試合内容では負けていた。

最終予選はまず勝つことが大事。

ひでを始め、多くの選手が言った。

「でも、自分たちで点が取りたかった」

俊輔の言葉は、僕らの声だ。

しかし、日本代表には、ジーコの日本代表には攻めの形、
守りの形が一切ない。それ故に、点が入るビジョンが浮かばない。ワクワク感がなく、重苦しい雰囲気のみを感じる。

負ければ、良かったとさえ今は思う。

こんな状態ではW杯につながったとしても、日本サッカーの未来は暗い。
リセットの必要性をさらに感じた試合だった。

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