本というものを販売している身としては、
先日の長崎の事件、メディアの吠え方が振り返れば
宮崎勤事件から変わってないのだな、
という思いのみが先行してしまう。

『バトル・ロワイアル』を読んで、
チャットしてたらああなっちゃうんじゃないか、
みたいな識者と呼ばれる皆様の発言もなかなか素敵だなァと。
PC自体を触ってるのかも怪しいみのもんたさんもネットゲームを否定してましたね。
はい、私、ネットゲームもやってます。

でも、あんな事件は起こしませんよ?

問題の本質が、いつもブレる。
命の大切さを教育で“他人”=先生が教えることができるのでしょうか。
学校を批判し、中傷する人たちはきちんと自分の子供たちが見えているのかな?
まずは、家庭の中でわかっていくんじゃないかって思います。

どうもこのブレが気になる。
『バトロア』を批判している方は、小説を読んでないんじゃないですか?
あれは立派な青春小説。陰惨で過激な部分のみが取り上げられてるけど、
小説は心理描写も巧みで、同世代が共鳴したのは、
販売した側としてはわかります。ラストの爽快感はなんだ、みたいな。

メディアの末端に位置する僕としては、なんか違うんじゃないかな、と思うのです。
本は読む人の資質を問います。
本もPCもゲームも道具です。
道具を使うのも人間です。
人間の使い方次第。
そこには、倫理観(教育上は死語かも)が介在しないとダメだと思います。
その欠如が、あの事件の原因の一部ではないかな。
あと、ゆとり教育は失敗しましたね、文部省。
『金八先生』見ててもどうなのかなァと思っておりました。
ちょっと大人は子供をなめすぎているかもしれないです。
彼らは、子供である前に人間です。常に何かを思考しています。

しかし・・・

思うんですが、『バトロア』『ネット』『チャット』が批判されてますが、
こういうとき、なんで『カッターナイフ』とかは批判されないのでしょう?
マイケル・ムーアが映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』で
「銃を乱射した少年たちが好きなロック歌手が悪いと言われ、
彼らが同じく好きだったボーリングはなんで悪いと言われないのか」
といったことを言ってます。

そこなんですよね、ここんとこ起こる、子供の事件。

追記:
僕はPCを学校で教える必要があるのかと思います。
小・中は必要ないと考えています。
技術を教えるのではなく、まず別のことを、学校と親は教えなければ。
子供たちの実態は、我々が思っているよりも“深い”と思います。
やはり。

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